永遠の神の愛を信じるって、別に特別なことではないと思うんですね。
赤ちゃんはお母さんの愛を受けなければ生きられないように、愛されることは人間にとって普遍的な必要。
ところが、人は変わることなく他者を愛しつづけることができないジレンマを抱えている。
死という限界もある。
その不完全のなかで、人は、愛を失う悲しみを、人生のどこかでかならず体験する。
しかしその人間の愛の不完全さ限界に直面し、痛み悲しむからこそ、変わることのない愛、尽きることのない永遠の命へのあこがれも生まれてくる。
つまり、この世、この世界が不完全であるがゆえに、完全で永遠なる神の愛にあこがれるのが人間。
完全なる神が、なぜこの不完全で、悪があり、それゆえに悲しみの多い世界を、あえて造られたのか。それはこの世界の不完全さを通して、完全なる神の愛に人間があこがれるためなんじゃないか。
そう考えると、永遠の神の愛は、特別な人の特別な関心ではなく、人の愛の不完全さ限界に涙したすべての人にとって、求めずにはいられないものだと思うんですね。