同じ神さまの子だからね

shuichifujii2013-10-28

 仙台のタワリーご夫妻とアーリントンの教会の人たちが、わたしたちの教会に来てくださって、交流と子ども英語教室のお手伝いをしてくださいました。

 初めて会うお一人お一人ですけれども、国が違うとか文化が違うとか、仕事が違うとか、そういうちっぽけなことをすぐに乗り越えて、神さまを信じる地球人として、出会えるんだよね。

 外国から来るクリスチャンの方と出会う時、いつもそのことを思うし、この垣根を越えて人と出会える感激を味わうのが、生きる喜びなんだなぁとつくづく思う。


 自分の国とか、自分の地域とか、自分の仕事とか、自分の教会とか、自分の家族とか、ついつい、その内側だけで閉じこもりがちで、その外側の人を、わけもなく恐れたりする自閉的なところが、日本人には特にあるでしょう。地方にいけばいくほどね。

 でも、庄内人も、アメリカ人も、みんななにもできない赤ちゃん出身の、人間なんだよね。そして、それぞれその人にしか体験できない素晴らしい人生を生きていたかけがえのない存在なんだから、自閉的に閉じこもっていないで、出会って、心を開いて、相手を知って、理解しあたら、感動と感激の人生じゃないですか。

音楽や芸術なんて、国や文化や時代をこえて、一緒に感動するためのものでしょう。自分しか分からない音楽、アートなんて、空しい限り。
つまり、みんな互いに分かち合いたいし、分かりあいたいんですよ。


そして、イエスさまがそんなお互いの橋渡しをしてくださる。まあ、難しい言葉でいえば和解とか平和ということを、恵みとして与えてくださった、ということ。

 まあ、聖書は難しい言葉が出てくるし、だから教会とかクリスチャンもつい、難しい言葉で言いたがるけれど、イエスさまを信じるって、究極的には、どこに生きていようと、なにもかも違っても、同じ地球人として、その違うユニークな者同士、仲間になろう。仲良くしよう。同じ神さまの子なんだから、て、イエスさまが橋渡ししてくださったという、ほんと、シンプルなことなんだよね。

新約聖書 エフェソの信徒への手紙2章14節〜

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、
十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。」