「救い」なんて必要ないですか?

「わたしは別に救われたいとは思わない」という人がいるけど、誤解があるんだよね。そんな「救われたいなんて思わないよ」という人のイメージしているその程度の「救い」なんて、別に「救い」でも何でもないんです。これは神ということばについてもいえるけど、「わたしは別に神なんか必要ないよ」という人のいっている程度の「神」なんて、べつにひつようないんですよ。「救い」とか「神」って、別にいらねーよ」って言えるもんじゃないものを指していう言葉なのだから。つまりイメージが違うんです。


 とにかく、みんななにか足りないと思って生きているわけだし、生きていれば、苦しかったり悲しかったり空しかったり、ふまんでいっぱいだったりしているし、こんなもんじゃないって、どこかでおもっていたりするし。

ということで、今は手にしていないが、普遍的で究極的な良いもの、自分に満足をあたえるものがあるはずなんです。それを「救い」と呼べばいいだけです。ならば、、「救われたいと思わない」人はいないはずですよ。