人間は知っていることが少なければ少ないほど、自分は全てを知っていると思い込んでしまうもの。
まだ知識が少ない子どもは、自分の知っていることが、この世界のすべてだと思ってしまうように。
しかし、年を重ねていくうちに、自分は実は、まだ知らなければならないことさえ知っていなかったことになんども気付いて、人は大人になっていくでしょう。
それは、人生について、生きる目的について、自分を存在させた神について、知っていくということについても言えるんじゃないかな。
なにかすこし勉強したりすると、すっかり自分は、人生について、生きる目的について、神について、よく知っている、わかっていると思い込むもの。でもそれは子どもっぽい態度かもしれない。
今、知っている、分かっているつもりでも、実はいまだ、知らないことがたくさんあるのだから。
信仰って、知識として自分が神をどれほど知っているか、ということではないんだ。そうではなく、この自分が神に知られ、神に覚えられ、神に愛されていることへの気付きと信頼のこと。
自分は、まだ分からないこと、知らないことだらけ。辛いこと、悲しいこと、人生の不条理ともたくさん出会って、分かっていたつもりのことさえ、分からなくなってしまうもの。
でも、そんな自分を、神は知っているし、神に愛されている。
とにかくそのことだけはぶれないで、信頼し心穏やかに生活する。それが大人の信仰、というものなんじゃないかな。
新約聖書 1コリント8章2節以下
「自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。
しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。」