学童が必要な時代にあって

shuichifujii2013-02-12

 先日の学校敷地内にコミュニティーセンターを建てる計画は白紙になったのだけれども、当初の計画にはコミセンの2階を学童保育所にする計画も含まれていて、そちらまで白紙になってしまい、新しい学校の学童をどうするかという問題が新たに持ちあがってきた。

 今日の夜、行政による説明会があったので、参加。

 今の段階では具体的な案はなし。来年の4月には、新しい校舎に、二つの小学校が統合されスタートするのだけれども、問題山積み状態。この学童問題はコミセン問題の裏で、なんだか置き去りにされてきた感がある。

 確かにこの共働き時代にあっては、学童は必要であるゆえに、何とか具体的に整備していただきたい。

 ただ一方で、その説明会のなかで、学童保育所がなければ、共働きの家庭は生活できないといわれた方の言葉を聞いて、なんだか根深い問題を感じさせられもした。

 とりあえず目の前の問題としては、とにかく学童保育所を造ってほしい、と言うことだけれども、なにかそれだけのことなんだろうか、と言う気がする。

 そもそも論をいってしまうなら、こどもたちが学校が終わって安全に時を過ごす居場所がないから、学童保育所というものが必要なのだ。

 学校が終わってから、また、施設に行かねばならない子どもたちの気持ち。そして、分かっていても、そこに行かせなければ生活できないこの厳しい時代における、親の立場とその気持ち。

 それを思うと胸が痛い。

 こどもを見守る家族、親族、地域の共同体。

 そういう大切なものを少しずつ手放し、捨てていってしまった、もしくは捨てていかざるを得なかったプロセスのなかで、そのつけを払わされているのは、いつの時代もこどもたちなんだろう。


 キリストは、こどもを排除しようとする大人たちに、「子どもたちを去らせてはならない。神の国とは、このようなものの国だ。」といわれたけれども、親だけの問題ではなく、社会として、こどもたちを大切にしようと願う社会こそが、キリストが言われた、神の国の実現する社会のはず。

 であるなら、教会とこどもは切っても切れない関係なのだ。

 ゆえにこれを教会への問いとしてわたしは受け止めたい。