「ぶどう園と教会」(1月20日週報巻頭言)

 イエスさまが語られた、「労働者をぶどう園に招く主人のたとえ」は、まさに福音宣言です。早朝に始まり、9時、12時、3時、5時と広場に行っては労働者をぶどう園に招き続ける主人の話。
 このぶどう園の主人とは、まさに天の父のことです。そして、ぶどう園に雇われた労働者たちは、わたしたち。
 このぶどう園の主人はなんどもなんども広場に出かけて行っては、労働者を集めてきます。最後は夕方5時です。6時には仕事が終わるでしょうから、後は片付けくらいしかない。それでも、主人は労働者をぶどう園に招き続ける。
 イエスさまは、天の国とはこういうものだと、このたとえで言われているのです。ぶどう園とはまさに天の国のこと。神の国のこと。
 天の父である神さまは、わたしたちをいつも天の国に招き続けてくださっているのです。しかもちゃんと一デナリオンという報酬を用意して。一デナリオンというのは、当時の一日分の給料です。今日を生きるための報酬。
 早くから招かれた人も、夕方ぎりぎりに招かれた人も、生きていくためには、一日分の給料が必要なのです。その一デナリをちゃんと用意して、まるで、その一デナリを与えたくて与えたくて仕方がないというくらい、主人はなんども広場に行って、労働者に声をかける。「こっちにいらっしゃい」。「生きるための報酬を上げるから、いらっしゃい」と招き続ける主人。
 このたとえが語っていること。それは、天の父なる神さまは、わたしたちを天の国に招き、永遠の命をあたえるために、わたしたちを探して探して、招き続けておられるということ。
 わたしたちは、この天の父なる神さまに招いていただいて、あなたもぶどう園にいらっしゃいと、招かれたからこそ、今、ここで礼拝しています。ですから、ある意味、ここは「酒田のぞみぶどう園教会」なんです。
 早く招かれた人も、最後に招かれた人も、神さまに招いていただいたことは同じ。この神さまの「ぶどう園」に招いていただいたことがどれほど光栄なことかに気づいたら、愚痴は吹き飛び、主人の愛に、感謝せずにいられないのです。