今日の黙想(富士吉田教会を覚えて)
イザヤ5章
「よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。
その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り
良いぶどうが実るのを待った。
しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった」2節「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々」7節
神の民イスラエルを良いぶどうにたとえている。
神の民はそもそも「良いぶどう」なのだ。
それでも、すっぱいぶどうが実ってしまうことがある。
イスラエルの歴史もそうだったし、教会の2000年の歴史も、そうだったんじゃないか。
なんども間違いを犯してきたし、今もすっぱい実を結んでいることがあるでしょう。
それでもなお、
「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために
そのぶどう畑の愛の歌を」1節
と、神の愛と憐れみが、神の民の上に注がれていることに
神の恵み、福音を思う。