今朝の黙想

 「文字ではなく、”霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉は人からではなく、神から来るのです。」ローマ2:29

エスさま以前の時代、ユダヤ人にとって割礼をおこなうことは、神の民であることの目に見えるしるしだった。

エスさま以降の時代は、聖霊によって心に割礼が施されることになるが、その割礼は目に見えず、人間が行うこともできないもの。

イエス・キリストを信じて神の子される。それは徹頭徹尾神の働き。

教会に人が集い、この世俗的な時代にあって、聖書の御言葉に導かれて生きる人々がいる。それは、たしかに今も神さまが働かれていることの目に見えるしるし。

原子力発電所の事故をもちだすまでもなく、今後の世界が、人の知恵と人の働きしだいであると思うなら、だれもが不安と恐れを感じざるを得ないのが現代。

しかし、人の目に見えない次元では、今までも、そしてこれからも、ちゃんと神さまは働いていてくださっている。その気づきが、安心と落ち着きを与える。

この世界の歴史は、神さまが働いていてくださっている歴史。

やせてもかれても、心に割礼を受け、教会に集う人がこの時代にもいる。それは確かに、神さまが今も働いておられることのしるし。