今日の黙想

 オークブルック・キリスト教会(米国イリノイ州)の牧師であるダニエル・マイヤー師は、最近の説教の中で、次のような体験談を語っている。
 「何年も前のことであるが、エクアドルの山地を二週間ほど旅したことがある。そこには、クチュア族というインディオたちが住んでいる。彼らは、信じられないほど劣悪な環境の中で生活していた。病人や、体が変形した人を、あちこちで見かけた。そのような人たちと出会うたびに、心が痛んだ。害虫はどこにでもおり、悪臭が生活圏の中に立ち込めていた。インディオたちは、地面に掘った穴に住み、それを『家』と呼んでいた。彼らは、日常的に腐った食物を食べており、生ゴミを宝物のように大事にしていた。それがいかに不衛生なことであるか、知らないのだ。どうしてそうなっているのか。それは、誰もがそのように生きており、それ以外の生き方を知らないからだ。彼らは、健康な生活をしている人間を見たことがない。そのため、豊かな人生とはどのようなものなのか、知らないのだ。


 私たちもまた、これと同じ問題を抱えている。ほとんどの人が自分のことを、『そんなに悪い人間ではない』と考えている。つまり、自分が霊的に病気で異常な状態にあることには、気づいていないのだ。キリストの十字架に関心を示さないのは、そのためである。


 ダビデは、詩篇一四篇で、宇宙で唯一健康なお方が、異常な状態にある私たち人間を見ておられると書いている。
 『主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない』
 言い換えると、私たち人間は、有罪判決を受けているが、それに気づいていないのである」


中川健一氏のブログより


 周りの人と同じであることに、ただ安心してはいませんか?
 何不自由ない生活のなかで、なにかむなしさを感じてはいませんか?
 本当の豊かな人生を求めて、イエスさまに祈ってみませんか。


ヨハネによる福音書

「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」6: 27


「イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」6: 35


「イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」8: 12

「イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」11: 25


「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」14:6


「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」17:3