たこ焼き焼きながら

 今日は母教会の山形キリスト教会の礼拝に家族とTRさんと出席して、午後からバザーのお手伝い。わたしとTRさんはたこ焼き屋で悪戦苦闘。


 たこ焼きって、鉄板に半円形の穴が沢山開いているものに、具を流し込んで、その具材がすこし固まってきたら、半円形の穴のところで、具材をくるくる回転させて、丸くするのですね。

 これがなかなかうまくいかない。くるくる回らなくて、形がぐちゃぐちゃになるわけです。


 ところが、それでもめげずに、はみ出した具材を穴のなかに押し込んだりして、ぐるぐるまわしていると、ぐちゃぐちゃだったものが、なんと、次第に丸くなっていくではないですか。


 「こりゃ、だめだなぁ」と思っていたものも、あきらめずに、ぐるぐるまわしていると、そのうちなんとか丸くなって、たこ焼きらしくなってくる。


 うーん、たこ焼きって、なんと教訓的な食べ物なのでしょう。まるで、人生のようです。


 人生も、なかなか思ったとおりにいかなくて、あちこちはみ出したり、こんなはずじゃなかったというほど、ぐちゃぐちゃになったり。いろいろあるもの。


 そうなると人はつい「こりゃ、だめだなぁ」と、あきらめたくなるわけですが、ところが神さまはあきらめなさらないで、まるでたこ焼きを焼くように、はみだした具材を穴に突っ込みなおして、ぐるぐるなさる。それは試練だったり、出会いだったりするのかもしれませんが、そうやってぐるぐるされているうちに、気がついたら、ぐちゃぐちゃだと思っていたものが、いつのまにか、さまになっていた。ということがあるもの。そういう話を、よく聞きます。


 うーん、たこ焼きって深いなぁ、などとぶつぶつ独り言をいいつつ、ひたすらたこ焼きを焼いていたのでした。