相互依存関係

shuichifujii2009-04-29

 今日は仙台教会にて東北連合の総会に出席。


 今回は、ブログによく書き込みをしてくださる、のんちゃんさんに初めてお会いすることができたり、こどもたちも牧師の子供同士で遊びまくったりして、総会といっても、堅い話ばかりして終わるのではなく、楽しい出会いやうれしい交わりがあるのが、いいところです。



(総会をよそに、お休み中のゆうき)


 さて、一番最初の開会礼拝の井形先生のメッセージの中で、先日の子供たちのバプテスマ式のことが語られて、酒田の開拓で最初のバプテスマの喜びを皆さんで分かち合うことから始まって、総会の中ではさまざまなセクションで酒田のことを覚えて今年度の計画をしてくださっていることが語られ、また、お昼には酒田の祷援会の総会があり、実に多くの方々から、この「酒田のぞみキリスト教会」が覚えられ、祈られていることを実感させられました。


 以前は、これをプレッシャーのように感じていた時期も正直あったのですが、今はそういうことはありません。なぜなら、これは主が与えてくださっている相互依存関係だと悟ったからです。


 わたしたちの小さな教会が、わたしたちだけでは、なかなかやっていけないように、東北にある教会や仲間のグループも、わたしたちのような小さくても、前に進もうとあがいている存在を、きっと必要としているのだということを、この3年近くのさまざまな出会いの中で感じてきたからです。


 ですから、わたしたちの教会を覚えてくださっている方々は、わたしたちの教会が、いかにも小さくて、弱くて、大変そうでかわいそうだから、なにか「してあげましょう」という上から目線ではぜんぜんないのです。


 また、わたしたちだって、確かにわたしたちだけではどうにもならないことが多いわけですが、だからといって、「この伝道所は大変なんです。家族だけで、借家で、お金もなくて・・・お宅の教会はうちにくらべたらまだ恵まれているじゃないですか。ちょっとはこちらを覚えてくださいな。助けて下さいな」なんて、死んでもいわないのです。実際、そんなこと考えもしない。主に召された働きならば、主に期待すべきなのです。もしこの自分が、総会のようなところで、こんな発言をするようになったら、この働きから退くべきです。


 にもかかわらず、この小さな教会を覚え、助け、また必要としてくださる人々がいるとするなら、それは主が与えてくださったのです。単に「酒田は、連合の開拓なのだから、みんなで覚えるべきだ」というような、いわゆる筋論などを超えて、主がその人々の心の中に、そのような思いを与えておられるのだと感じてきたのでした。


 そのように、お互いに、主を見上げているところから、主の働きのために、お互いがお互いを必要としていく関係。主にある相互依存関係という、実に聖書的なあり方が実現して来ているように思い、感謝なことだなぁと思ったのでした。






「だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」1コリント12章20節以下