Virga Jesse エッサイの若枝より


 TRさんは昔合唱をしておられたそうです。当時はあまり歌詞の意味を知らずに歌っておられたということですが、教会に来て、聖書を読むようになり、昔歌っていた曲の歌詞の意味に、注目するようになられたようです。

 先日はブルックナーの「エッサイの若枝より」という曲について、「これは聖書のどこに出てきますか」と質問をいただいたので、以下に聖書の箇所を載せておきますね。


旧約聖書イザヤ書11章〜

11:1 エッサイの株からひとつの芽が萌えいで/その根からひとつの若枝が育ち
11:2 その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊/思慮と勇気の霊/主を知り、畏れ敬う霊。
11:3 彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず/耳にするところによって弁護することはない。
11:4 弱い人のために正当な裁きを行い/この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち/唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。
11:5 正義をその腰の帯とし/真実をその身に帯びる。
11:6 狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。
11:7 牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
11:8 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入れる。
11:9 わたしの聖なる山においては/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように/大地は主を知る知識で満たされる。
11:10 その日が来れば/エッサイの根は/すべての民の旗印として立てられ/国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。


 これは、イエスキリストが現れる約700年前の、預言者イザヤによる預言です。
 世を救うメシア(キリスト)は、エッサイの子孫、つまりエッサイの子であるダビデの家系から生まれることが語られています。


 エッサイという名の背景には,軽蔑または貧しさがあります。メシヤはダビデという王の家系より出ることを知りながら、あえて「エッサイ」という表現を使用することで、世的に低く顧みられないところから、ダビデの王権にも勝るメシヤ(キリスト)の主権が出ることを、イザヤは預言しているといわれます。



 そのメシアは、イザヤの預言から約700年後、ダビデの末裔のヨセフの許婚マリアの中に聖霊によって宿り、ユダヤベツレヘムの家畜小屋で生まれます。そしてナザレの田舎で育ち、最後はエルサレムにて、人間の罪を全て背負い十字架につきました。


 神の子でありながら、低きにくだり、十字架にまでついて、三日目に死に打ち勝って復活なさったイエス。この方こそ、私たちを罪から救い、真の平和を与えるメシア。「エッサイの若枝」なのです。