せずにはいられないから

 朝、何通か手紙を書いて、嗣音を幼稚園に連れて行った後、庄内農業共済組合献血。血を抜かれながら看護婦さんに、「この時期は風邪などで、献血者が減るのですか」と訪ねると、「以前は夏と冬が血液が足りなかったのですけれども、今は、年中ですね」とのお答え。若者の献血離れが進んでいるのだとか。


 わたしなどは、たまには血を抜いてもらったほうが、体の調子がいい気がするので、献血会場を探してでも、するのですけれどもねぇ。


 隣人のために「せねばならない」と頑張って献血をするより、「自分にとっても、せずにはいられないよなぁ」と思えば楽だし、気負わないし、感謝なんですね。イエス様も、「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」といわれたわけですし。


 さて午後は、小学校の金管バンドの練習に。新しいメンバーを募集したところ、予想外に沢山の子どもたちが入ってくださって、楽器が足りなく嬉しい悲鳴というところです。


 音楽の楽しさが伝えられたらいいなぁと思います。それには伝える人自身が、音楽を楽しんでいないと、なかなか伝わらないものですね。


 福音もそうかもしれません。福音を心から喜んでさえいれば、その人を通して、自然に福音は伝わっていくもの。


 何事も、「ねばならない」ではなくて、「せずにはいられない」ということでしょうね。



「もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。」(1コリント9章16節)