今日の黙想

 「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい」(1コリント10章12節)

 イスラエルの民は荒野の旅の試練のなかで、神に信頼できず、偶像のまえで踊り、神が与えたマナという食べ物に満足できず、不平を言うそのなかで、多くの人々が滅ぼされてしまいます。そして、それらの出来事が旧約聖書に記録されたのは、単なる昔話としてではなく、今、人生の荒野を旅している、クリスチャンに対する教訓なのですよ、とパウロはコリントの教会に向けて語ったわけです。


 今の与えられた状況。そのただなかに、主は変わらずに共にいてくださる。そのことを忘れるとき、かつてのイスラエルの民のごとく、問題に対する、不平不満に取り付かれてしまいます。そして、神が共におられることを忘れ、問題を、ただ自力によって解決しようとするなら、偶像のまえで踊ることになります。その偶像とは、お金であったり、人に頼ることかもしれません。


「自分はそんな不信仰には陥らない。今の状況に対して、不平など言わない。ましてや偶像のまえで踊ったりしない」とクリスチャンは思うものです。わたしもそう思います。しかし、パウロはそうやって「立っていると思う者は、倒れないように気をつけるが良い」というのです。

 自分の信仰なんて、試練を前にすれば、倒れやすくもろいもの。その自覚が大切なのかもしれません。


 しかし、パウロはこのように続けます。


 「・・・神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

 自分の信仰で立っていると思えば、いつかは倒れる。そうではなく、逃れる道をも備えてくださっている、真実なる神に支えられて、荒野の旅路を最後まで歩ませていただきたいと、そう思うのです。