最も人間らしい行為

 息子を幼稚園に送る途中に、楽器屋さんがあります。私が知る限りでは市内で唯一の楽器屋さん。車で店の前を通りながら、不況のなかでも、酒田の音楽文化のために、がんばってほしいなぁと思いました。


 人間は食べ物、着る物、住む所さえあれば、身体的には必要は満たされます。その点では獣と人間は一緒です。


 いくら音楽を聴いても、おなかは満たされないので、動物に音楽は意味を持ちません。音楽や芸術を必要とするのは、人間だけです。


 人間は、プロの音楽家のコンサートには多額のお金を払い、またCDを買います。人間だけが、音楽の持っている計り知れない価値を知っています。


 また芸術のために一生を捧げて、歴史に名を残したり、国宝とか呼ばれる人もあります。一方、お金持ちになるために一生を捧げて、尊敬された人は、ほとんどありません。人は即物的な事柄よりも、精神的な事柄により価値を見出し、尊ぶからです。


人間だけが、精神的な必要を持っています。精神的な必要を認識し、求めて生きるところに人間らしさがあるのです。


反対に、即物的になればなるほど、人は獣に近づきます。「音楽なんかで腹が満たされるか」というわけです。


それでは、最も即物的なものから遠く、精神的に深い行為はなんでしょうか。
それは、宗教であり、祈りという行為です。


 人間だけが祈ることができます。獣は祈りません。祈っている時間があったら、餌を求めて、忙しく立ち働くでしょう。「祈っていて腹が満たされるか」というわけです。


 人間が人間らしく、最も深い精神的な必要を認識し、それを満たすために神から与えられている行為。


 それは祈りなのです。