今日の礼拝は、Dさんご家族、Tさん、Mさん、Iさん、そして私たち家族の11人。
聖書の御言葉に導かれて、互いに深い思いを語り合い、祈りあうことができ、本当に感謝でした。
分かち合いの中で、学校の先生のTさんが、学校の金管バンドのことをお話してくださいました。
去年の新型インフルエンザ騒ぎで、練習ができなくなり、一時、バンドそのものが崩壊してしまっていたのです。しかし、その後、自主的に練習を始めた数人のこどもたちをきっかけに、またバンドが復活したというお話を聞かせていただいて、とても励まされました。
まるで、厳しい冬の間に、全ての生き物が死に絶えてしまったかにみえた大地に、春になって、新しい命が生み出されていくような復活の奇跡。神がおられるゆえに、希望は失望にはおわらないのですね。
目の前の状況をみるなら、「もうだめだな」と諦めたくなってしまうことも実際あるでしょう。
希望がもてなくて、思い煩うだけの日々もあるでしょう。
自分の力ではどうにもならない限界に直面して、涙しか出てこないこともあるでしょう。
しかし、人間の力の尽きた所から、「祈り」が生まれ、そして、祈りを通して、神の業はなされていく。
だから、わたしたちの希望はなくなることはないのですね。
さて、午後からは私が所属する酒田吹奏楽団の演奏会に出演。
教会に来てくださる皆さんも、聞きに来てくださいました。Mさん、Tさんは奥さんと、Iさんはご主人とご一緒に。
今回は、CM音楽とかミュージカル音楽とか、楽しく軽い曲をいたしました。
楽しんでいただけたようで感謝です。
それにしても、そもそも音とか、音楽というものは、現象的には、単なる空気の振動でしかありません。
無味乾燥な唯物論に立つなら、そういうことです。
ところが、その空気の振動である音楽が、人間の心に喜びを与え、慰め、力を与えます。不思議なことです。
「美の源である神さま」を抜きにして、この不思議をどのように説明できるのでしょうね。
心の目を開くなら、音楽が神さまからの愛のプレゼントであることがわかるのです。
心の目が開くなら、父なる神さまは、どれだけわたしたちを愛してくださっているか、イエスさまという神の愛のプレゼントを通して知ることができるのですね。