15年目の返事

shuichifujii2008-01-30











   おてがみをひろった人へ

  わたしは小がっこう1ねんせいです。いまわたしたちの
 がっこうは、百二十さいです。そのおいわいで、みやしょう
 おんどをうたったりおどったりします。このおてがみをひ
 ろったかたは、おへんじをください。

   しらひげなつみ 川崎市立宮崎小学校


 (毎日新聞より)
  2008年1月24日。千葉県の銚子漁港で水揚げされたカレイの背中に、川崎市の市立宮崎小が93年に創立120周年を祝って上げた風船と手紙がついていた。
15年を経て約100キロ東の太平洋の海底から回収された手紙。


 手紙を取りに来た元小学生のお名前が「白髭(しらひげさん)」
で、まるで浦島太郎のようなお話に感動しました。


 手紙は、深さ1000メートルの海底にいたカレイにくっついて、カレイともども漁船に「水揚げ」されたのだそうです。

 どうして、15年も前の一枚の手紙が、しかも海底1000メートルの中で、読める状態で保存されていたのか。長い間陸地にあって、海に落ちたのではないかとか、いろいろ言われますが、陸地にあったとしても15年も経てばぼろぼろになるでしょう。本当に不思議なことです。しかも、水揚げされたときに、沢山のカレイの中で、まぎれて捨てられることもなく、手紙が持ち主のところに帰ってきた、というのは、これは、とても偶然とは考えられないことですね。神様の不思議な摂理を感じます。


 15年目になって、すっかり忘れていた手紙の返事が、返ってきた。


 神様へのお祈りの返事も、そういうものではないかな、とふと思いました。わたしたちは、とかく祈ったあとに、すぐになにか答えがないと、「神様はわたしのお祈りを聞いてくださらない」とあきらめてしまったりするものです。しかし、もしかしたら、わたしたちが、すっかりお祈りしたことを忘れてしまったころに、神様はわたしたちの祈りに答えていてくださるのかもしれません。


 わたしたちは、自分が何を祈ったのかを忘れてしまったとしても、神様は、わたしたちの祈りを忘れてはおられないはず。神様は、一枚の手紙を、15年もの間守り続け、海底1000メートルからカレイによって引き上げてくださったように、わたしたちの祈りを、覚え続け、最善の時に、引き上げてくださる。そう思うと、祈る力と喜び、そして希望が、新たにされます。


 そんなインスピレーションが与えられた、素敵な出来事に感謝。


「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(新約聖書フィリピの手紙4章6節〜)


「わたし(イエス)の名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(新約聖書ヨハネによる福音書14章14節)