自分と向き合うこと

 東京の青年から久しぶりに電話。鬱で気持ちが落ちそうなときに、電話することになっているので、そういう意味で、久しぶりなのは、感謝なことです。


 今まで、お母さんからみとめられたことがない、という言葉に、心を痛めます。認められたいのに、認められない。そして、自分自身、自分のことを認められずに責めてしまう。


 しかし、自分を責めるとか、自己卑下は、見方を変えれば、プライドや高慢の裏返しともいえます。「自分はこうあるべき」とか「本当はできるのだ」というプライドによって、なさけない自分が責められていく。


 言い換えれば、本当は20点の自分なのに、「自分は100点であるべきだ」、「本当は100点をとることができるのだ」というプライドが、20点の現実を受け入れさせずに、責めてしまう。また、他人から、あなたは「20点なんですね」といわれると、腹が立ったり、落ち込ませてしまう。


 もし、「ええ、そうなんですよ。実は20点なんですよ」と認められたら楽になれる。それは、「20点で何が悪いんですか」と開き直るのではなく、「この20点のわたしを、神様は愛してくださっているのだから」と、神の愛を信じることのゆえに。


 人の言葉に傷ついたり、怒ったり、不安になったりしたときこそ、実は本当の自分の姿に向きあうチャンス。


「ええ、そうなんですよ。実は20点なんですよ」
「この20点のわたしを、神様は愛してくださっているのです。その証拠がイエス様の十字架です。」


 そのように、神の愛に心を向けることができるなら、20点から21点22点・・・へと、主によって成長させられていいく希望はなくならないのです。