存在の価値

 この世界では、人はみな何かを成し遂げたいという願望を持っています。いい学校に入りたい。よい就職をしたい。家をたてたい。またある人は、誰かのために何か価値あることができたら満足するとおもっているでしょう。


 そのような何かを成し遂げたいという願望を持つことは別に悪いことではありません。そのために努力することは大切です。しかし、問題なのは、自分自身の人生の意味や価値ということを、自分がなにか成し遂げた結果で計ろうとしてしまうことにあります。


 そうやって、自分がしたこと、しなかったことに、あまりに左右され始めると苦しくなります。他人の評価で一喜一憂してしまいます。だれかがほめてくれるので、自分には価値がある。だれかがお礼を言ってくれるので、自分は役に立つ人間だ。そうやって、自分の魂を他人に売り渡してしまうのです。



 その背景には、根深い自己評価の低さがあります。そこに存在しているだけで価値があると、自分のことを思えないセルフイメージの低さです。それを埋め合わせたくて、人の目を引く成功を求めて、苦しみます。



 生まれたばかりのあかちゃんは、なにもできません。生産的なことは何一ついたしません。それどころか、ミルクをがぶがぶ飲むし、泣き続けて困らせます。
でも、だれがその行動をみて、あかちゃんには価値がないと思うでしょうか。役に立たない思うでしょうか?



 人間はそこに存在するだけで価値があるのです。みんなそれを認めているからこそ、なにもできない、あかちゃんを、ただ、そこにいるというだけで、愛するのではないでしょうか。いままで存在しなかった人が、そこに存在している、ということのもつ、計り知れない価値。神に作られたわたし自身の価値。それを知り、神が作られた自分らしく生きていきたいものです。人の評価や、自分自身の評価ではなく、このわたしを作られた永遠なる神。その神の変ることのない愛を信じて、信じつづけて、このありのままの自分を、生きていく力を頂きたいのです。