黙想2

エスさまの地上の生涯は、短期的な視点しか持てない、この世の価値観からみるなら、

なにも成し遂げられず、失敗としか思えない、

十字架の死で終わったようにみえました。

しかし、長期的な視点からみるなら、

実に最後には十字架に至ったその生涯こそ

神による、永遠に価値ある救いの計画の成就であったのです。

短期的に物事を評価するしかできない人間には、わからない

神の長期的な御計画が、この世界にはあります。

それは、わたしたちの人生についての評価も、同じじゃないでしょうか。

以下のような物差しは、人の一生の価値とは無関係です。

・どれだけ葬式に人が集まったか
・どれだけ頑張ったか
・どれだけ多く稼いだか
・どれだけ高い地位についたか
・どれだけ悪いことをしなかったか
・どれだけ修行を積んだか
・どれだけ他人に与えたか
・どれだけ周りの人の賞賛を得たか、感謝されたか
・どれだけ多くの良いことをしたか

人の一生の価値は、こういうもので量るものではなく、

「与えられた人生の使命を生き抜いたか」

ということこそ、大切な量りです。

使命とは、そのことのために、あたえられた「命を使う」という意味ですから

自分に、すでに与えられている使命を生きるとは、

言いかえれば「自分にしかできないことをする」ということです。

それはもちろん、自分がやりたくないことをやらないのではなく、

他の人にはできないことをすることです。

エスさまの十字架に至る人生の歩みは、

エスさまにしかできない、イエスさま以外の人間がすべきでもない、

天の父からイエスさまだけに与えらた、「使命」でした。

エスさまは、その「使命」に、脇目もふらずに、まっすぐ、忠実に、歩み抜かれたのです

さて、わたしたちも、神さまが目的を持ってこの地上に生んでくださったのなら、

必ず、神さまがあたえてくださった、「使命」があるはずです。

その「使命」から引き離そうとする、

短期的な評価や、他人の期待

そのような誘惑によって、自分ではない人になろうとする束縛から、

福音によって解放され続けて、

今日、あらたに、神さまが与えてくださっている、自分の使命に気づいて

今日、また新たな一歩を歩み出せますように