御言葉が心に宿るように

 クリスマスを待ち望むこの時期、立て続けに幼い命が奪われ、心痛めます。思えばイエスさまがお生まれになったその時も、領主ヘロデによって、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子が一人残らず殺されるという、悲惨な出来事が起こりました。人の心の暗闇を思わされます。
 広島の事件の容疑者は、取り調べ当初、しきりに悪魔について口走ったといわれます。彼はいったいどんな心の思いに支配されたのでしょう。領主ヘロデは、メシアが生まれたと聞き「不安を抱いた」(別訳「恐れ惑った」マタイ2:3)のでした。人は心の中に満ちる言葉に支配され行動するものです。ゆえに、箴言は「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」(4:23)と言い、詩編1編は、「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」は幸いだと教えます。
 数年前、当時聖学院中高校長であられた林田秀彦先生が常盤台教会の特別集会でご奉仕してくださいました。そのお話の中で「御言葉を紙に書いて、あちこち、目にとまるところに貼っておきなさい」と言われたことを、今でも印象深く覚えています。日々、御言葉に触れ、御言葉を口ずさみ、御言葉によって祈る。ここに希望をもって前向きに生きる力の源泉があります。
 クリスマスとは、神の言が、わたしたちの間に宿られる(ヨハネ1:14)出来事でした。暗き世だからこそ、人の否定的な言葉ではなく、神の言を思い、神の言がいつも心に宿って、前向きに歩めるようにと願うのです。