御国が来ますように

 先日、公立小学校で働く先生、私立中高の先生と話す機会があった。一応その方々もクリスチャンであるけれども、いろいろなことを話していて、あらためて、子どもたちの問題の発祥の根っこはやはり家庭だということを確認した。そして、もちろん学校は家庭にまで踏み込む力はないし、踏み込むべきでもないのだろう。国は教育基本法を改定して、個人主義的傾向を、より共同体指向に教育の現場を変えようとしているようだけれど、学校で何をしようと、家庭、夫婦関係、親子関係に、問題の本質があるのだから、あまり意味がない。そもそも市民から国家権力への命令である「憲法」に、国民は愛国心をもつべきだ。などとと書き込むようなセンスのなさでは、なにをかいわんや。共同体を再建したいと、その求心力に郷土愛や天皇などを据えるようなことは、おかと違い。そもそも、アメリカの言うとおりに、自由化し、地方に大規模店舗をたてさせ、地域産業を壊し、地域共同体を壊すことに貢献してきた政党が、なにをいまさら愛国心でしょうに。本当に国を、国民を愛しているのか、はなはだ疑問。自分が生きている間に、なんとか甘い汁を吸って、吸い逃げしようとしているようにしか見えません。いずれにしろ、祈りの大きな課題でしょう。でも、主は、絶望から希望を生み出して下さるお方なのだから、この先、いったんは絶望することをおそれずに、その向こう側にある希望に向かって歩めばいい。宝は天に積むものだし。永遠に価値あることにしっかり目を向けるべき。それにしてもますます、祈りが求められる時代。

 神を敬う家庭は神に祝福され、神を敬う国家は神に祝福される。ついでにいえば、神を「本当に」敬う教会は神に祝福される。とにかく、祈りこそが神の御国を来たらせる力であることは間違いない。
「御国が来ますように」