トライブ・マイ・カー

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立川で、映画ドライブ・マイ・カーを観た

 

ストーリーは書きません。ネットで検索すればいくらでも出てくるからね。

 


ただ、最後の最後の韓国でのカットが、その直前までのストーリーとつながらなくて、かえってイマジネーションがかき立てられました。

 

あとは観た人々が想像し、感じ取れば良いという結末。

いいんじゃないですか。

 


本当の自分の思いに向き合うというテーマが、やはり最後に表に出てきたな。

 

村上春樹さんは、そのあたりが普遍的で、外国で受けるのだろうか?

 

でも、ついこういう映画から、教訓や哲学を読み取ろうとしてしまうけれど、3時間という映画の時間の流れに、ただ身を任せるということでもいいんじゃないだろうかと、観ながら思った。

 


韓国語、中国語、英語など、さまざまな言葉での劇中劇も面白い試み。
意味より以前に、「音」として感じるということ。


あのシーンを観て、わたしたちはあまりにも「意味」に囚われすぎているのかもしれないなと、振り返った。

 

 

こういう、スカッとさせず、考え続けさせる映画はいいな。

観た後も、様々なことを考えて、楽しめるから。