わたしは昨年度はバプテスト連盟の総会議長、連盟の音楽専門委員、東京連合の副会長、東京バプテスト神学校の理事など、教会と教会が協力して福音宣教を行っていけるように繋いでいく働きの幾つかに関わらせていただきました。
そのような関わりを通して様々な情報を耳にします。
今、多くの教会の現場において、これまでの活動、組織、やり方などを、変えていかなければならない状況に立ち至っていながら、
実際にはなかなか変えられない葛藤を感じているような印象を受けています。
教会において組織や活動は、いわば「福音」という中身を運ぶための「入れ物」です。
「福音」という中身は変えてはいけませんが、「入れ物」は時と場所によっていくらでも変えていいものです。
むしろ料理によって「器」を変えるように、「入れ物」は時代とともに柔軟に変えていかなければなりません。
「ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。・・・弱い人に対しては弱い人のようになりました。・・・すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです」(1コリント9:20-)
と語ったことにも通じます。
「入れ物」は文化、時代、出会う人々によって入れ替え可能です。
いくら中身が素晴らしくても、「入れ物」が古いままでは骨董品だと思われてしまいます。
もし、若い世代の人々が、教会に魅力を感じないとすれば、それは「福音」という中身に触れる前に、教会の組織、活動という「入れ物」が、骨董品に見えてしまっているからかもしれません。
今の時代、これからの時代にみあう「入れ物」へと変わっていくために、もう一歩一歩新たなチャレンジをしていけますように。
「だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。
もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、 そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。
新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。
まただれも、古い酒を飲んでから、新しいのをほしがりはしない。
『古いのが良い』と考えているからである」
(ルカによる福音書5章37節〜39節)