国に障害とは認定されないが、
社会に居場所を失いやすい境界線、ボーダーを生きる人々が、
ボーダの内側で、手厚く守られている人々への
逆恨みをするということは、十分起こりえること。
ゆえに、短期的な視点で
不信に基づく厳罰、監視社会化の方向に向かうのは、
問題の本質を捉え損ねていて
もっと長期的な視点にたって、
境界線を生きるしかない人々もふくめて
この社会がもっと人を包摂していけるようにと
地道に取り組んでいくしか、処方箋はないのだと
思うのです。
わたしにとってはそれは
人間が勝手に決めたボーダーライン、垣根をこえて
神と人、人と人とがつながる
「福音」を語り続けるということなのです。