主に向かって心を上げよう

 私たちはしばしば、この世は人間味にかけていると嘆きます。人々は周りに対して少しも感情をもたず、人間の必要や孤独、寂しさに無関心な科学、産業技術、政治、官僚機構とその非人間的要素は社会でますます幅を利かせているように見えます。

 キリスト信仰すら、美しく箱詰めされ、利潤のため、もうけのために売られていることさえあります。あるいは、信仰の体系化、組織化を推し進め、信仰を動脈硬化から死に至らしめることが起こり得ます。細やかな感情をもつ人が傷つく可能性が最も高いのなら、なぜこの情緒不在の世界にあってもっと感性を育てる必要があるのでしょうか。

 より豊かな感性、深く感じる心こそまさに福音が生み出すものです。良い知らせとは、感じられ心で受け止められるものであり、喜びと神に対する熱い思いを伴って表現伝達されるものです。

 もし愛が愛を生みださないなら、それは初めから愛などではなかったのです。

 キリスト者生活の目指すところとは、教理を頭に詰め込むことではなく、本当の意味でより人間らしい生き方をすること、心躍る活気にあふれた、より豊かな霊的いのちに目覚めることです。

 聖霊の息吹に自らを開くとき、まるでモノクロ映画が突然何もかもカラーに変わったような衝撃と新鮮な感動を味わうのです。

 これこそ、「主に向かって目をあげる」の意味です。それはわたしたちの全存在の中心から主に向かって目を上げることです。神からの息吹を受け、神に導かれ、神に焦点を合わせて生きることを意味します。・・・・

PRAYER:TRANSFORMING FRIENDSHIP /Jemes Houston P.138