他を潤す人は自分も潤う

今日の黙想
箴言11章

「気前のよい人は自分も太り
他を潤す人は自分も潤う」25節

「他を潤す人は自分も潤う」

それは、「自分が獲得するために、相手に与える」という、「取引」とは違うのだろう。

「取引」は当事者同士の間だけで行われる、狭いコミュニケーション。

わたしたちの身の回りには、形を変えた「取引」の現場がたくさん。

たとえば、お返しを期待した贈り物とか、返事を期待して書かれる手紙とか。

お礼や感謝されることを期待した、慈善とか

でも、この「他を潤す人は自分も潤う」とは、そういう「報い」によって自分が潤うという話ではなく、

だれかを潤わせる行為によって、すでに自分が潤ってしまっている人、のことなのだろう。

そういう人には、お返しのような、報いは必要ない。

その人のしていることは、「取引」ではなく「愛」だから。

そして愛を受け取った人は、また、だれかを潤していく。

コミュニケーションにおいて、「愛」は外に広がり、「取引」は狭く閉じていく。

体をめぐる血の流れのように、愛が人から人へと流れてゆく時、この世界という体は潤い、元気になり、その体の一部である自分も、結局潤っていく、ということでもあるのだろう。