地域の教会

shuichifujii2015-03-06


山形教会の杉山牧師とご相談しつつ、わたしの転任のあいさつと、4月からの集会の案内文を、ご近所や関係した方々に配り始めています。

最近も、ご近所のご婦人とスーパーであったとき、「のぞみ教会はどうなるんですか」と聞かれて、

「ああ、教会に来られていないけれど、気にしてくださっているんだ」って、思ったからです。

開拓ですから、教会の礼拝に来るクリスチャンの方は少ないですけれども

そのぶん、

子ども会や、ママの会や、子どもの居場所や、個人的な相談や、

そんなことごとで、教会の周りの人たちのほうが、この場所にきていたし、

わたしたちも、そんな教会の周りの人たちのためにお祈りしてきたので、

ある意味、教会員のための教会じゃなくて、

この地域のための教会。この地域の人々のために、具体的に祈る教会。

地域の教会でありたいって思ってずっとイメージしてきたんです。

この度、地域のいろいろな方々とお別れのあいさつをするたびに、

さびしいとか、残念ですとか、悲しまれてしまい、

もちろん、社交辞令もあるとはおもうけれども、

なんだか、この地域の教会だったのに、もうしわけない、という気持ちになるんです。

教会って、つい、自分たちのため、

自分たちの活動のため、組織のため

また、遠くの人々を覚えて、お祈りすることが多いけれど、

本当は、その場所でしか出会えない人、顔をあわせられない人のために、

祈るようにと、神さまはその場所に招いて、

出会わせてくださっているわけなんですよ

って、実にあたりまえのことに、

この酒田に来たおかげで、やっと気づいたんです。

ああ、はやくこの地域のために、次の牧師さんが、与えられますように。