テキサス、秋田、仙台から酒田へ

shuichifujii2014-07-27

 今日の礼拝はテキサスのアーリントンバプテスト教会から3人の女性、そのホストで仙台からタワリーさん御家族、そして今日は秋田バプテスト教会の信徒の方との交流の日でもあったので、秋田からもお二人の方が見えられるという、大変豊かな出会いと交わりの時を、神さまから頂きました。


 神さまは、人と人を出会わせて、出会いの中で語られます。今日の礼拝では、秋田教会のTさんの証を聞かせていただいて、神さまからの語りかけをいただきました。本当に恵まれました。きっと、今日、テキサス、仙台、秋田、酒田から、この小さな教会に神さまが集めた一人ひとりに、必要な神さまからの語りかけだったと確信します。

 Tさんからビデオと原稿の掲載許可をいただきましたので、以下に証を引用させていただきますね。


私の生涯でどうしても忘れられない事があります。
 小学校に入る一年前の項で、戦前の昭和18年初夏の出来事です。私がいつものように自宅近くで一人で遊んでいた時、近所の人たちが急に騒がしくなったので、何だろうと思ってその近くに行ったところ、そこには行き倒れと思われる老人が一人倒れていました。

近所の人達が、水や握りめし、味噌汁、お茶、たくあんなどを持ら出し、一生懸命その老人を助けようとしているのです。老人は、夢中になって水や握りめし、味噌汁に噛(かぶり) 付いていました。私は、その光景に子供ながらも感動して、その場で釘付けになっていました。程なくして、満腹になったその老人は立ち上がり、帰ろうとしていたヒころ、近所の人々が残った食べ物を持たせてやりましたが、老人は涙ながらに何度も何度も頭を下げ、姿が小さくなるまで頭を下げ、どこかへ行ってしまいました。


この時の光景に、即ち、弱い人や困っている人を助けようとする人々の優しさ、助けられた老人の心から感謝している姿に、子供の項の体験と言いながらも、強烈に私の心に刻まれました。この事が私のその後の人生に大きな影響を与える事になりました。

今思いますと,世の中の事が何一つ知らない子供であった私が、なぜあのような感動的な場面に直面したのか、偶然の出寒事であったと一言では片付けられない何かがあったとしか 私には考えられない。その答えが、分かる時がやって来たのは、ごく最近の事です。

それは、私共の秋田バプテスト教会に今の村上牧師夫妻が派遣され、村上先生から祈ることの大切さを教えられてからでした。それまでの私は、祈る事はありましたが、何となく黙祷しているような祈りで、本当に不信仰な者であったと思います。特に決定的に不足していたのは、霊的な面でした。

そこで私は「聖書の学びと祈り会」で、最初の項は恥も外聞もなく「神様、どうか僕(しもべ)に霊を下さい」と思い切って何回か祈った事を覚えています。こうして何回か祈り会に参加するようになってから、程なく、私の頭の中は神様の事で一杯になりました。仕事中も、休養中もそうでした。私のような者にも、祈る事が許され、神様 が本当に身近に感じられる様になった事に多少戸惑いも感じられました。しかし、こうした 祈りの中で、神様は、私が神棟を求める求めないに係らず、神様の一方的な哀れみによって 愛されている事に気がつきました。

子供の項の感激的な出会い、そこから感じ取った優しさ や感謝は私が神様を知らなくとも、信じていなくとも神様は私に無償で与えて下さったのであり、それを思うと心の底から感謝せずにはおられません。


不信仰な私でありますが、今、聖霊によって主イエスキリストの御名を通して毎日祈るようにしています。祈る課題は神様の事、教会の事、兄弟姉妹の事、自分の家庭の事、仕事の事その他色々ありますが、祈っている内に必ず幾つかの課題が叶えられます。なおも叶えられていない祈りもありますが、祈りの喜びと感謝は言葉では、正確には表現が出来ません。

この様な信仰上の体験をしますと、祈らずにはいられない衝動にかられます。ましてや、祈りの課題が一つ一つ叶えられていくと、もう自分の責任感とか熱心さを超えて、教会の兄弟姉妹が待っている祈り会に、行かずにはいられなくなります。それは言い換えますと「神様が待っている」と表現したほうが正解かもしれません。

それと後で気がついた事ですが、実は自分が祈っている時は、教会の兄弟姉妹にも祈られて いるのだという事を思い知らされました。そのことを思うと不思議と心が満たされ、安心感が生まれ、只々神様に感謝せずにはおられなくなります。この感激を生涯忘れない為、常に心を広くして神様に従い、イエス様の復活、罪の赦し、永遠の命、昇天、聖霊の働き、イエスキリストの再臨この一連の信仰を、教会の兄弟姉妹と共に貫き通したい、そして一人でも多くの人々に伝え、救いの為に教会に参加させたい、それが私の生涯の願いです。

今日の礼拝メッセージです
「私たちの真ん中に」

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