輪廻転生か蝶か

 今日の夜は、PTAの各学年の三役の集まりがありました。

 この地域はPTAの集まりの後に懇親会がつくことがおおいんです。・

 まあゆっくり話す機会なのでいいんですが、今日は懇親会で、もうすぐ定年を迎える先生と、ゆっくり語しができました。

今、中学生の長女が小学校の時に担任でお世話になった先生。

いろいろなことを話しましたが、最後に私が牧師だと知っておられることもあって、話題が死んだ後の話に。

「わたし、次に生まれる時はなににうまれるかって、考えるんですよ」と先生。

「そうですかぁ。わたしは輪廻転生ではなくて、死については、「蝶」をイメージするんですよ」

「蝶?」

「ええ、蝶は、最初は醜い芋虫でしょう。地面に這いつくばって、必死に目の前の葉っぱを食べているだけ。そして人間も、じつはそんな存在かもしれない。

やがて、芋虫は固まってまるで死んでしまったような、さなぎとなる。

でも、その死んだと思っていたさなぎから、芋虫のときには想像もできなかったうつくしい蝶が、なんと空に羽ばたいていくんですよ。

人間も、今は、目の前のことで精いっぱいで、欠けもあり、汚れもある、みにくい芋虫かもしれないけれど、やがて死んだ後に、今は想像もできない、蝶のような存在になって、羽ばたく日が来る。

それをキリスト教で復活というんですよ。

そうやってせっかく蝶になったのに、輪廻転生じゃ、また芋虫に戻るというはなしじゃないですか。それはいやですよねぇ」

「ははは、そりゃそうですね」と先生。

先生、わかってくれたかなぁ。