「天の父のラブレター」(2月17日のぞみ教会 週報の巻頭言から)

 もし、あなたが誰かからラブレターをもらったとする。それも長いラブレターで、100ページくらいある。 そこにはあなたとの出会いから始まって、いろいろな出来事が書いてあって、その時の気持ちがかいてあって、嫌なこともあったし、つらいこともあったし、その時に、どうしてほしかったか、いろいろ書いてあるラブレター。だからちょっと厳しい言葉も書いてあるのだけれどでも、それを読むあなたは、どんなことばが書いてあっても、相手の人が、自分に何を言いたいのかは、一目了然。つまり、「あなたのことが大切です。愛しています」ということが言いたいのだと読みとれるはず。なぜならそれはラブレターだから。その一番重要なところさえ、ちゃんと読みとってさえいたらだいじょうぶ。

 さて律法をはじめとする、旧約聖書の文書を読むと、一見厳しい言葉や戒めばかりのように見える。しかし、そもそも「律法」がイスラエルの民に与えられたのは、彼らがエジプトの奴隷から解放されて、これからは神さまを信じて自由に生きていく、その道を示すものとして、与えられたもの。つまり天の父の親心。ラブレターが「律法」なのだ。

 だから、ちゃんと「律法」を読むときには、そういう神さまの親心。ラブレターとして、ちゃんと読みとらないといけない。なのに、この神の愛の親心がわからなくて、律法を読み違えてしまって、なんだか厳しい裁きの言葉のように読んでしまう。そして実際、そうやって読みちがえて、他人のことを裁いて束縛していたのが、福音書に出てくる律法学者という人たち。

 その律法学者たちに、律法のなかで一番重要な戒めはなにかと問われたイエスさまは、見事に天の親の親心を一言で宣言なさった。


「 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
        マタイ22章37節〜