大丈夫なんですよ

shuichifujii2013-01-10

 ある事情で、仕事をやめなければならないと覚悟していたOさん。

去年の暮れから、電話で相談を受けて、そのたびに「大丈夫」「Oさんは神さまに愛されているから、大丈夫」そう励まし続けていたんです。


さてOさん、昨日、いよいよ辞表を用意して、上司のところに行き、事情をすべて語ったところ、上司から逆に「あなたにやめてもらっては困る」「定年までいてほしい」と引き留められたと、今日電話で語ってくださいました。

まあ、まだいろいろ課題は残っているのだけれど、頭で否定的に予想していたことが、ことごとく覆されて、思いもしない方向に導かれていることは確かだよね。

去年の暮頃は、Oさん。勝手に悲観的な状況を頭の中で膨らませて、半分くらい絶望していたんだけどね。

「大丈夫」「あなたは神さまに愛されているんだから」「信じよう」

そういわれてもきっとその時はピンとこなかったでしょう。

たとえ半分、絶望していても、だからこそ神さまの愛を信じようって、福音を宣言できるのは、幸せなことだとおもう。そんなこと言っていいのか?。責任取れるのか?。でも、そもそも神さまの言葉なのだから、人間が責任取れるわけないのです。神さまの言葉の責任は、神さまがちゃんと取ってくださるでしょう。わたしは、ただ伝えることが役目。

まあ、たとえ、人間の目にどういう状況に転んだとしてもね。いつでも「大丈夫」「神さまの愛の中にいつもある」そう語り続けたい。

エスさまの十字架と復活が根拠になっている「福音」ってそういうものだから。

確かに絶望的に見える状況はある。十字架はある。でもその先には、ちゃんと神さまが準備している復活の希望がある。

この十字架の先に復活を信じるのが福音。良い知らせ。グッドニュース。

ということで、神さまに愛され導かれているからこそ、今、これを読んでおられるに違いないあなたも、だから「大丈夫」なんですよ。



マタイによる福音書6:25〜26
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。