わずらわしいもの

shuichifujii2012-08-17


「人よりも自分の方がずっと『知識がある』と思っていると、どこかに人をバカにするような態度がでてきてしまうものだ。
人よりも自分の方が『経験がある』と思っていると、やたらに説教臭いことの言うようになる。
人よりも自分の方が『ものを持っている』と思っていると、大きな顔をして威張り散らすようなことをしてしまう。
人をバカにする、説教する、威張り散らす…これでは『人から好かれる人』にはなれそうもない。きっと身近にいる人たちからはいやがられて嫌われて、寂しい人生を過ごすことになりそうだ。
困ったことに、人というのは長く生きてゆけばゆくほど、この『知識』『経験』『物』が増えていく。まあ、そのおかげで職場では多少なりとも出世もでき、生活の面では多少は贅沢なこともできるのだが、反面、人も見ればついつい『バカにする、説教する、威張り散らす』といったことをするようになる。
若い頃は、知識を増やすこと、経験を増やすこと、物を増やすことが喜びでもある。そういったものを増やすことで、ちょっとでも人の上にたち、ちょっとでも人より先んじることが、嬉しくもある。
しかし、こういうと若い人には信じられないかもしれないが、ある程度の年齢になると、なまじ知識や経験、物があることが煩わしくなってくるものだ。まあ、定年を迎えるか、迎えないかといったぐらいの年齢であろう。
そのくらいの年齢になると、だれとでも仲良く、平和に暮らすことが一番幸せに思えてくる。知識、経験、物といったものは、この人と人との平和を乱す、いわば『わずらわしいもの』でしかなくなるのだ。
人間はどこかで方向転換をして、『増やす』努力をやめ、『捨てる』努力を心がけていくほうがいいのではないか、と思う……」



斎藤茂太斎藤茂吉の長男 医学博士 2006年 90歳で没)



年をとればとるほど「自分のプライド」というわずらわしいものが、人との関係を難しいものにしていくのだろうな。

最後まで残る価値あるものとは、そばにいる人との信頼しあえる関係だけなのに。

そういえば、宮沢賢治は、「でくのぼう」と呼ばれる人に、わたしはなりたいと歌っていたけれども、深いことばだ。


「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え……」フィリピ2:3−

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」