教会の希望、本質

教会が高齢化しているって、憂うことはないんですよ

1人の人が、長い時間、この世界で生きて、

その時間をかけなければ、わからない経験を積んできた方がたがおられるのは、

まさに教会の宝だから

当たり前だけれども、去年の自分より、今の自分のほうが、

一年という時間を生き延びてきて、

沢山の出会いや経験、知識をいただいた、成長した自分となっているはず。

そういう意味で、自分よりも1歳でも年上の人は、尊敬すべき宝。

高齢化って、そういう意味でいうなら、人生の宝にさらに磨きがかかったということ

一方、年が若くても、その人でなければ絶対に体験出来ない、

出会い、経験、人生をつみ重ねてきた、貴重な宝

教会は、そんな宝が互いに出会って、さらに磨かれていく現場

だから、大切なことは、そのお互いのユニークな宝の価値に気付いて、

そのお互いの宝が、お互いにとって必要であることを、ちゃんと認めあい、

共にお互いを尊重し、尊敬し、互いに活かしあい共に生きること

その関係の真ん中にこそおられる、主イエスを体験し、ともに礼拝すること。

この分裂し、敵対しあう世界の中で、

違う人と人とが、共に活かし合って生きようとする共同体があること

そこに教会が教会であることの、希望と、本質があるのだから