運命論から信仰へ

shuichifujii2012-08-14


「私たちはいつも、運命論に陥る誘惑があります。たとえば、「私はずっと短気なんです。この性格とは一生付合っていくしかありません」というとき、その人は運命論的になっています。またもし私たちが、「あの人は愛してくれる親がいなかったんだ。刑務所で生涯を終えてもしょうがない」というなら、運命論者として語っているのです。「彼女は子どものときひどい虐待を受けた。男性と健全な関係をもてるようになるなんて期待する方が無理だ」というとき、運命論の影響下にあります。「世界中にある国家間の戦争、何百万人もの餓死、エイズの拡大、経済不況、これらのことを考えると希望なんてもてません」と言う時、私たちは運命論の犠牲者になっています。
 運命論とは、自分ではどうすることもできない外的環境の犠牲者であると自分をみなし、受け身的に生きる姿勢のことを言います。
 運命論の反対は信仰です。信仰とは、この世に存在する得体のしれないどんな力よりも、神の愛は強く、暗闇の犠牲者から光の僕へと私たちを変えることができると、心底から信じることです……」

ヘンリナウェン