神様と遊び

信仰生活に遊びはとても大切なんですよ


・遊びとは、それを行うこと自体が目的のものです。
遊びとは、親しい友人との食事のようなものです。今私たちがしていること、そのものに目的があります。

・なにかを達成することがすべてという私たちの社会通念の外に、真の遊びが存在します。

・遊びは私たちを神に近づけ、神について瞑想することを助けます。一般的に瞑想の妨げとなるのが、自己に浸る思いです。遊びの効用の一つは、私たちの目を自分から離してくれることにあります

・キリストは今も、わたしたちクリスチャンや聖霊の働きを通して、遊び続けておられます。詩人ジェラルド・マンレイはかつて、こう書いています。「キリストは私たちの手足や顔を通して、あらゆる場所で遊びます。」霊によってキリストが私たちの内に住まわれるなら、私たちが遊ぶとき、私たちを通してキリストは遊ばれます。求道者の友人にキリストを証することだけが魚釣りではなく、ボートから釣り糸を垂れて友人とニジマスを釣るときにも私たちは証しています。結婚式で牧師と共に祈っているときだけでなく。その後の披露宴でダンスを踊るときも私たちは聖霊の管となることができます。

・大いに楽しんでいる人に対して、眉をひそめるような神のイメージを持っていませんか。真実は、私たちの神は想像をはるかに超えて私たちを愛しておられ、私たちの喜びをご自身の喜びとしてくださるお方です。私たちが楽しみ喜んでいる姿を喜んで下さるお方です。



God in My Everything

Ken Shigematsu