今日の黙想

 「異教徒の間で立派に生活しなさい」1ペトロ2:12

 説教の準備でみ言葉を思いめぐらしているけれども、この「立派な生活」という言葉がどうも引っかかって、原典を見てみると、案の定ギリシャ語の「カロス」だった。

「カロス」は「良い」という意味と「美しい」という意味が含まれる。わたしは「美しい」というイメージを大切にしたいな。

「立派な生活」という言葉は、どうしても「なにかをしてはならない」「なにかをしなくてはならない」という倫理的道徳的な規範めいた生活イメージが湧くでしょう。

そうじゃなくて、「美しい」んです。何をするとかしないとか、そういうことではなく、存在そのものが美しいあり方。花はなにもしなくても、そこにあるだけで美しい。そして、周りを幸せにしてくれる。そんな存在。

神さまなんてどうでもいいじゃん。この世は所詮、金だし、能力ないとだめだし、やっぱ学歴だ、立場だ名誉だと、苦しんでいる人々の中で、神さまが与えてくださった自分の命を喜んで、さわやかに花のように咲く。聖霊の導きの中で。

それが「立派に生活」と訳された「カロス・エルゴン(行い)」という言葉のイメージなんじゃないかな。