変えられて用いられ

 30日(土)と31日(日)は神奈川のふじみキリスト教会に招かれて、土曜日には酒田での出来事を分かち合わせていただき、日曜日のメッセージの御奉仕をしてきました。

 30日の夕方、教会の最寄りの駅につくと、ふじみキリスト教会のI牧師が迎えに来てくださいました。そして、まだすこし時間があるからと、先生と車の中で、いろいろとお話し。

「ところで、I先生。どうしてわたしを呼んでくださったんですかぁ」といまさら聞いてみますと、I先生、このブログをよく「チェック」してくださっていたのだそうです。

それで、ふじみキリスト教会で年に一度、外から講師を迎えて行う礼拝に、わたしを推薦してくださったという事情だったようでした。


「『チェック』しておられたのですね。丸とかバツとか、つけながらですかぁ(笑)」と私。冗談ですよ・・

礼拝には80人ほど来ておられたでしょうか。その日初めて教会に来られた方も数名おられました。感謝。

そんなお一人お一人との出会い。それもブログが取り持った出会いと思えば、不思議なものです。もちろん全ての背後には主の導きがあるのでしょう。

 さて今回思い切って、日曜日のメッセージのなかで、例の賛美歌「今、振り返ってみれば」を、ギターの弾き語りで賛美いたしました。

おそらく自分は、生まれて初めて、沢山の人前で歌ったのではないでしょうか。

自分の「歌声」には、昔から劣等感が強くて、人前で歌うのはにがて。「カラオケ」なんて本当に嫌いな人間なのですが・・・いったいどうなってしまったのか?

主の恵み・・ということですな。

さてその頃、酒田の礼拝は、わたしの代わりに、仙台からYさんとSさんが来てくださって、一緒に礼拝して、とても恵まれたようでした。

Yさんに、聖書のお話しをお願いしたのですけれども、実はYさんも人前でお話しするのは苦手だったそうなのです。

でも、今は教会をはじめ、いろいろなところでお話しなさる機会も沢山おありのようで、それも主の恵み・・ですね。

パウロさんも自分が変えられたことを指して、「今あるのは、主の恵みです」と言っていますしね。

いつの間にか神さまが用いてくださるために、変えていてくださったことに気がつく喜びは、とても味わい深いですね。



「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」(1コリント15章10節)