今、「個食」(子供が夕食まで一人で取って済ませると言う「孤食」とも言える)というあり方が増えていると、聞きました。親が一緒にいるにも関わらず、別々に食事をするという家庭が増えていると聞きます。
もちろん、いろいろな事情がある家庭もあるでしょう。例え父親が居なくとも、母親が居なくとも、誰か大人が子供と共に食事をすることは、子どもの心に安心感と愛情を育てることに、必要なことだと思います。
私たち家族は、いつも一緒に食事をします。テレビもありませんので、お互いに向き合って、楽しく会話をしながら、食事を楽しみます。食事の時は、家族にとってとても大切な時間です。食事はただの栄養補給ではないからです。
そして、おかずはなるべく、それぞれにとりわけないで、大きな器に盛ります。そうすることで、自分だけが沢山とり過ぎたりしないように、注意し合い、お互いにお互いのことをおもいやる、愛しあうための訓練の機会となるからです。
「ママ、このおかず食べた?」
「ママのために、残しておくね」
と、自分が食べるのを我慢して、わけようとしてくれるこどもたち。
そんなやさしい姿をみるとき、こころから嬉しく思います。
でも、「個食」となると、いつも目の前のあるものは、自分のものであり、がまんしたり、分け合ったりする喜びも味わえず、なにより、語り合う喜びをしることができないことは、本当に残念なことだと思います。
教会では、日曜日の礼拝ごと、礼拝に来てくださった方々と、毎週、昼食を一緒にするようにしています。
どんなにおいしい料理も、ひとりで食べれば貧しい食卓です。
一緒に分かち合うなら、どんなに貧しい食卓も、楽しく、おいしく、喜びに満ちた食卓です。
食事を共に、しかも楽しくすることができる。それは今の時代、最高のぜいたくなのかもしれません。
教会は、神さまの愛によって、互いに一緒にいることを喜びあい、分かち合うことを喜びあえる、ある意味、最高に贅沢な場所なのかもしれない、と思わされているのです。