「教会の約束」って実は大事

 今日ある方から電話がありました。私のホームページを見て、以前、バプテストの「教会契約」について書いたものを読んでくださったからでした。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/JESUS/kyoukaikeiyaku.htm

信仰告白」と「教会契約」(今は「教会の約束」といっている)の違いなどについて、いろいろと質問してくださり感謝です。一般にはあまり興味を持たれるテーマではないので、感心しています。


 今、バプテスト教会が新しくできるとき、教会の「信仰告白」を作っても、教会独自の「教会の約束」を作ったという話は、あまり聞かない気がします。


 わたしは、この「教会の約束」が持っていたスピリット、そしてその本質を大切にしたいと思っています。

 「教会の約束」はいわば、「結婚の誓約」のようなもの。神様の導きと恵みによって一緒になった夫婦が、互いに愛し合う「約束」をして家庭を作るように、神様の恵みと導きによってバプテスマを受けた一人ひとりが、互いに愛し合い、共に主に仕える「約束」をして、教会をつくる。それが「教会の約束」


 まさか、互いに「約束」もしないまま、結婚する人はいないでしょう。また、会社や学校やサークルでもなんでも、人と人とが一緒になにかをするところでは、お互いになにか「約束」をするわけです。バプテスト教会ではそれが「教会の約束」となるわけです。でも、今、この「教会の約束」の意義が忘れられているような気もします。


 たとえば、「わたしたちは、主にある兄弟姉妹の愛をもって愛し合い、互いの喜びと悲しみを共に分け合います」という、こんな一文が、「教会の約束」のなかにあれば、それをお互いに「約束」して教会に加わった私たちなのだから、たとえ、いろいろ人間関係の問題が起こっても、ただ感情に流されるのではなくて、このお互いがかつてした「約束」に立ち戻って、悔い改めて、共に生きていく。そんな大人の教会。それがバプテスト教会のスピリットであり、本質なんだよなぁ、とわたしは思うのですね。