クリスマスの黙想

クリスマスの愚かさ

 「だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。」1コリント3章18節以下

 クリスマスは、神が人を救うために、人となられた、しかも、処女マリアからイエスという人としてお生まれになった出来事。そう聖書は告げます。


「自分には知恵がある」と思う人には「そんな馬鹿な話があるか」という愚かな話。それがクリスマス。


 しかしその「自分には知恵がある」という人の、その「知恵」は、自分をさえ救えるのでしょうか?


 芥川龍之介は、聖書を読み、キリストを求め、数多くの聖書を基にした小説を書き、絶筆となった小説は、まさにイエスのことであったというのに、彼はただ一点、神が人となったという、クリスマスの「神の知恵」を愚かとする「自分の知恵」に固着しつづけた。その帰結として絶望。そして自死であると、私は理解しています。


 「自分の知恵」そして「この世の知恵」の行き着くところ。それは絶望かもしれません。実際、よく考える人ほど、この現実に対し、絶望感を感じやすいのではないでしょうか? それが「自分の知恵」「この世の知恵」というものの限界なのです。


 しかし聖書は「本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。」といっています。


 クリスマス。神が人となられたという、その出来事のなかに、まさに「神の知恵」、そして「神の救い」を見出した人は、絶望ではなく、希望を見出す、本当に、本当に、幸いな人です。