今日は傾聴ボランティアで遊佐の施設に。
九州やハワイからメール。祈られ覚えられていることに感謝です。
明日、3日(水)は、19時30分から酒田暁星教会にて、市内の5つの教会の合同のお祈り会があります。来年11月、オペラ歌手の稲垣俊也さん、遠藤久美子さんを迎えて、音楽を通して福音を伝える集会をするので、毎月、その祝福と導きを祈る時を持つのです。
さて、「100万人の福音」というキリスト教の雑誌に、2年前のクリスマスに稲垣さんが書いたエッセイがありましたので、ご紹介しましょう。
父からのボクシンググローブ
「殴られたら殴り返せ。泣いて帰ってくるな」。私の父は普段は物静かで上品ですが、時に男性的な闘争心にあふれた人でもあります。このことばは幼いころ、けんかをして泣いて帰ってきた私に発せられました。
「泣いて帰ってくるな」・・・強く雄雄しく生きるための無二の励ましです。いまでもこのことばは暴力的だとは思っていません。少年のころ、とにかく強くなりたいと願っていました。
小学校4年生のクリスマスの時、父にせがんでボクシングのグローブを買ってもらいました。本格的なグローブとおもちゃの中間のようなものでした。これをつけると急に強くなったような感じがして、妙にうれしくなったものでした。
学生時代に多少ボクシングの心得があった父でしたので、父のミットに向かって打ち込み練習が始まりました。「だいたい少年同士のけんかは、まず右手で相手の顔を殴りにくる。それを左手でブロックすると同時に、相手の伸びきった体に向かって一発打ち込む。すると相手は苦痛でかがみ込むので、顔に向かって一発放て」
なんという父親かと思われるかもしれませんが、私たちの少年時代には、けんかにもきちんとしたルールがあったように思います。ひととおり意見なり、意向なりを闘わせたら、相手を赦す、相手の立場に関心を示す、相手の立場を生かすことです。より深く相手とつながり、許し合い、かかわるには、むしろ「闘い」は不可避のように思います。
クリスマス・エピソードに、「どうしてこんなに”痛い”内容なの」と思われるかもしれません。実は、音楽の世界では、一つの和音の中で降誕の喜びを歌いつつ、同時に受難(キリストの十字架)の痛みを醸し出すことができるのです。日常生活では、相反する二つの出来事を同時に話すと「騒音」でしかありませんが、音楽ではそれが「ハーモニー」となります。
喜びも痛みも闘いも赦しも決して背反するのではなく、紙一重で向き合っているのではないでしょうか。いつも紙一重のところで思い悩み、迷う私たちですが、イエス・キリストは同じ土俵でとことんまで私と対峙し、痛みをお分かちくださり、それらをハーモナイズしてくださるのです。