みんな主に導かれているんだね

shuichifujii2008-08-17

 今日はTさん、Oさん、Yちゃん、神奈川から帰省中のNさんと子どもさんたちと一緒に礼拝。


 礼拝のなかで、一週間の神様の恵みを感謝して分かち合う、証の時間がありますけれども、Nさんに教会に行くようになったきっかけを伺いましたら、興味深いお話をしてくださいました。


以前、看護師をしていたNさん。あるとき病院に入院してきたカトリックのシスターの方と出会ったそうです。病室に置いてあったマリア像が気になったり、そのうち親しくなり、キリスト教に関する本をいただいたりして聖書に興味をもたれたそうです。


 しかしその後、結婚や子育てなどで忙しくなり、すっかり聖書のことなど忘れて数年たちました。あるときから、子どもさんが教会附属の幼稚園に行くようになり、幼稚園の父母に牧師が優しく聖書を教える会に出席するようになり、また聖書にふれることになります。それまでも、お寺などで拝んだりしても、「いったいなにに向かって拝んでいるんだろう」とずっと違和感を感じていたNさんは、聖書を読むようになって、イエスさまこそが、わたしが求めていた方かもしれない、と思うようになったそうです。


 そんなある日、以前出会ったカトリックのシスターの方に会いたい、という思いが強くなり、電話をかけます。ところが、シスターはもうすでに亡くなっていました。


「いつ、お亡くなりになったのですか」
「○年前の9月5日でした」
「9月5日!」


Nさんが、この電話をかけていた日が、まさに9月5日だったのだそうです。


Nさんは、この出来事の中に強烈に神の導きを感じます。きっと神様があのシスターをわたしのところに遣わしてくださったのだと思ったそうです。そしてその足で、牧師のところに行き、バプテスマ(洗礼)を受けたいと伝え、その年のクリスマスにバプテスマを受けられます。


 そして、今、振り返ってみれば、様々な出会いや出来事は、偶然ではなく、一本の糸のようにつながっていたんです、といわれたNさんの目には、うっすらと涙が・・・


主は生きておられますね。
わたしたちは、みんな、主に導かれているのですね。

ハレルヤ


今日の礼拝のメッセージ

http://nozomikyoukai.com/diary.cgi?no=76