教会学校成人科開始

shuichifujii2011-06-19

 今まで、日曜日は9時から子どもたちの教会学校と10時からの礼拝だけだったのですが、今、教会に来てくださるHさんご夫妻やIGさん方と話し合い、今日から教会学校の成人科を始めることにいたしました。


 時間は10時から30分。そのあと引き続いて礼拝になります。

 今日は初日でしたので、一緒に聖書を読み、自分の言葉で恵みを分かち合うというところが、まだぎこちないところもありましたが、皆さん前向きで、教案誌の「聖書教育」誌もそれぞれに買って取り組んでくださることになりました。

 来週の礼拝の中ではHさんの入会式を予定しています。一歩一歩主が教会を形作ってくださる恵みを感謝しつつ。


今日の週報巻頭言から
教会学校成人科開始」
 牧師から提案させていただき、先週皆さんと話しあって決めたとおり、今日から「教会学校の成人科クラス」を始めたいと思います。
 さてわたしたちの所属するグループであるバプテスト連盟では、教会学校の目的を、以下のように設定しています。
 「教会学校の目的は、その活動を通して、すべての人々が、イエス・キリストを信じる信仰告白に導かれ、生の全領域において、主を証する生活を確立していくことにある」  

 わたしたちバプテスト教会は、幼児洗礼をしないで、子どもたちが自分の口で信仰を告白して、バプテスマを受けるように、聖書を教え導くことを選びとった教派です。
 また、牧師だけが聖書を教えるのではなく、信徒一人一人が、聖霊の導きのなかで聖書を読み、教えられ、自分が変えられ、成長していく成熟した信仰者になることを大切にしてきたのが、バプテスト教会です。ですから、バプテスト教会は、こどもだけではなく、全年齢層が教会学校でみ言葉を学ぶのです。
 さて、礼拝の説教とは、この世界に向かってなされる宣教、そして教会の奉仕、信仰生活を整えるために、教会として語られる、み言葉です。
 ですからまず礼拝において、説教に耳を傾け、神を霊とまことをもって礼拝する。それはのぞみ教会に集う私たちの基本です。
 そのうえで説教には限界もあることも認めなければなりません。それは週に一度だけ語られることや、多様な人々に向けて語られるため、抽象的な言葉になりがちであることなどです。ですから一人一人の具体的な信仰生活の導きのために、一人一人、自分で日々聖書を読むことが大切です。
 ただ、個人的な聖書の学びにも限界があります。好きな個所ばかり読んだり、独りよがりな解釈をしてしまうこともあるでしょう。
 そこで教会学校において、一緒に聖書を読み、互いの読み方を分かち合いながら、それぞれ自分の具体的な生活に当てはめて、み言葉から教えられたことや証を分かち合う教会学校が必要となるのです。<<