受難節

キリストの受難を思うということは、神の赦しを思うということですね。
キリストの受難を思う。それは罪深い自分を自分で責めてみるのでも、打ちたたいてみるのでもなくて、その罪がキリストの受難によって赦されたことを思うのですね。そして、神に赦されたことに勝る慰めと平安はありませんから、受難節とは、深い慰めと平安をいただくときなんですね。