休み

 休んだり休息をとることに罪悪感を感じることがありませんか。単に人の目を気にするだけでなく、仕事によって自己実現を目指すと仕事が偶像になり、休めなくなりますし、経済的な破綻を異常に恐れることもまた、私たちを仕事漬けにするでしょう。
 しかしクリスチャンは仕事を礼拝するのではなく、神を礼拝します。自分の力で達成するものではなくて、神の与えてくださるもののうちに、つまり、仕事ではなく恵みのうちに、真の目的を見いだすのがキリスト教の信仰です。神でさえ天地創造の7日目には休まれました。イスラエルにとって7日目の安息日、7年目の安息年に休息することは、神がその間、養ってくださるのだという、神を信頼する信仰と密接に結びついていました。休息とは、単に、仕事のために疲れから回復すること以上の意味、神に対する魂の状態を表わしています。
 休むとき、私たちは自分の無力さを認めなければなりません。真の休息とは、「すべてのことは、私なしでもやっていけるのだ」と認めることであり、自分の計画ではなく、神の御旨に委ねることであり、本当の祝福は神の御手からだけ来ることを知ることであります。それゆえに、真に休むためには神の恵みに対する信仰が必要なのです。