伝わる言葉で

 2月11日は「建国記念の日」ですが、多くのキリスト教の教会ではこの日を「信教の自由を守る日」として、国が国民の信教の自由を守るように祈る日としています。

 今日の午後、東京の在日本韓国YMCAで行われた2.11集会に参加して、講師の話を聞いてきました。

実は今回始めて参加したのです。今までは、正直この手の集会には、距離を置いていました。

今回参加した大きな理由は、講師の方が、キリスト者学生会の総主事の方だったことが大きいです。

若い人たちに語りかける情熱と言葉を持っている方の講演ゆえに、聞いてみたいと思ったのです。

特に、このような国との関係、政治や思想にかかわるテーマを扱うときには、語る側が、若い世代にも通じる「言葉」を持っているかは、非常に重要なファクターだと常々思っていたからです。

 その点において、これまでのリベラルとか左派といわれる方々が使ってきた「言葉」は、私の印象として、正直「わかる人だけがわかればいい」「わからないのは、わからない人が悪い」と感じさせる「上から目線の言葉」のように感じてきました。

それが、このような集会に距離を置いてきた理由です。

今回初めて集会に参加し、改めて参加人数の少なさと高齢化に、驚きを禁じえませんでした。

さて、これは教会に若い人が少ないという現状とも、ある意味シンクロしているとわたしは思うのです。

教会の礼拝メッセージにおいても、「わかる人だけわかればいい」という「上から目線の言葉」が使われていないでしょうか。

ただ分かりやすければいい、ということを言っているのではないのです。

今日初めてやってきて話を聞く、目の前の一人の人に、

次のチャンスはないのだというくらい、熱く、この思いを「伝えたい」と、真剣に思って語っているか、という情熱の問題です。

「わかる人だけわかればいい」話をするのなら、実に楽なことです。

講師の大嶋重徳さんからは、そういう「若い人たちに伝えたい」という情熱を感じることができました。

それだけで、この集会に参加して良かったと思います。