生きている魚を、素手でさわれない臆病者のわたしに
去年から、釣りをおしえてくれたパパ友の釣りの師匠がいるんです。
でも、なんどか一緒に近くの海まで釣りに連れて行ってもらっても、
わたしは一匹も釣れないまま、1年がたってしまいました。
このまま、酒田を離れさせるわけにはいかないと
釣りの師匠が、この前の土曜日の夜、わたしを港まで連れだして
懇切丁寧に、釣り方を指導してくれました。
「釣りはイメージですよ」と師匠
特にルアーという疑似餌の場合は、なおのこと、
魚の立場にたって、魚のいるところや、習性をちゃんとイメージして、
疑似餌であるルアーを、本物の餌だと思わせるように、動かし
魚に食いついてもらわなければならないのだから
魚の気持ちも考えず、自分のやりたいように糸を垂れていても、釣れるわけがないんです。
そこにいる魚の身になってイメージできるようになる、ということなんだよな
そして、やっと一匹、黒ソイのちいさいのが、釣れました。生まれて初めて
師匠と二人で、大喜びで、握手。さすがに一年越しだから、感動もひとしお
でも、釣った魚を素手で触れなくて、師匠が釣り針をとってくれたのですが(^_^;)
こんな情けない弟子を、よく辛抱して、見捨てないで、一年間指導してくださいました。ありがとうございます。
そもそも、メンタル的に、魚をさわれない、という時点で、釣りは向かないのは、最初からわかっていたけれど、
でも、彼と一緒に、自然の中で、さまざまな魚のことを教えてもらったり、こどものことや、家族のことをはなしたりする、時間がとても楽しかったんだよね。
そう、だから、実は魚を釣る、ということが、目的ではなくって、
ただ、一緒に、
神さまがつくられた、自然を味わい、感じる、
幸いな時間を、すごしたかったんだと、思うんですよ。