イエスさまの時代、ユダヤの人々は、「約50年かけて」造られた「見事な神殿」で礼拝していたんですね。
ところが、その見事な神殿はAD70年にローマによって崩壊してしまうんです。
イエスさまはむしろ、ご自分の体こそが神の宿る神殿(ヨハネ2章21節)といわれます。
そして使徒パウロは、それをさらに発展させて、イエスを信じるクリスチャンについて、
「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」1コリント3章16節
「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、・・・」同6章19節
と宣言します。
いまや、キリストを信じてる「わたしたち」は神の宿る「神殿」。
ここにキリスト教の神秘があります。
このことを、ちゃんとクリスチャンは受け止めているでしょうか。
これはあらためて考えれば考えるほど、素晴らしいことです。
実は、今日ホームステイをしているスザンをつれて、私たち家族で、羽黒山にいき、神社の境内に至る2400段以上のある石段を上ってみたのです。
樹齢千年以上ありそうな大きな杉の木が林立し、山頂には歴史あるかやぶきの大きな三神合祭殿がそびえたっています。
古(いにしえ)の人々が、いかに神を求め、求め、その信仰の足跡をここにのこしてきたのか。それが伝わってきます。
この場所の、荘厳な雰囲気。まさに「おおいなる神」を祭るにふさわしい、神秘的な雰囲気が、ここにはあります。
この空間にこそ、神はおられそうな、そのような雰囲気の中に身を置いて、あらためて思いました。
「ああ、約2000年前のユダヤの人々もきっと、荘厳で、見事な石と奉納物で飾られている神殿を、そのようにながめたのだろうな」と。
しかし、その荘厳な神殿は、AD70年にローマ帝国によって崩壊しました。
形あるものは、滅びるのです。どんなに美しく神秘的で、荘厳であっても。
しかし、神は永遠。
「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」1コリント3章16節
2000年以上の時を越えて、イエスさまを信じるわたしたちへの問いかけです。
あなたがたは、いったい何者なのか分かっているのですか。知らないのですか。忘れているんですか・・・・イエスを信じるあなたがたは、いまや、神の神殿なんです。「神殿」
わたしたちの小さなのぞみキリスト教会
樹齢1000年の大木も、2000段の石段も、荘厳で神秘的な建造物でもない小さな教会。
しかし、その建物の中に集められた数人の人が、
イエスの名によって捧げる礼拝のただなかには
この世界を造り、私たちを愛し存在させ、導いてくださっている天の父なる神さまが、おられる。
このおどろくべき真理に、もういちど目覚め、感動をあらたにしたのです。