最近、妻がビデオ屋で借りてきた「クレイマークレイマー」を一緒にみた。もう30年以上も前の映画。
ダスティンホフマンがめちゃくちゃ若いとか、パソコンもなく、オフィスの電話機もめちゃくちゃ大きいとか、時代の違いは感じたけれど、離婚、子育て、親権というテーマは、今の時代にも変わることない課題だなぁとおもった。
日本はしっかり個人主義アメリカの後を追いかけてしまっているな。
映画では、ママが出ていってしまったあとの、かわいい男の子と、エリートビジネスマンのパパの二人の生活が、悪戦苦闘しつつも、温かく描かれていて、微笑ましい。
このパパは、今でいうなら、「いくめん」になっていくんです。そのおかげで、こどもに時間がとられて、ビジネスでは失敗する。
でも、お金には代えられない豊かさを、息子との時間を通してパパは頂いたし、それによってパパ自身も変えられていったことは確か。
映画の後半、出ていってしまったママが、やはり息子を育てたいといいだし、最後は裁判で「親権」の争いをすることになるけれども、そのやり取りの中で、どちらが責任を持って育てられるかとか、どちらが子どもを愛しているかとか、どちらが育てたほうが子どもが幸せか、という議論や非難を聞いていて、悲しかったな。
少なくとも、このケースの場合、DVもなければ、浮気や、経済的な問題もない。
結局は、夫婦のすれちがいの問題。もちろんそれが小さいことだとは思わない。
しかし、自分こそ「親権」があると主張し、自分こそ、本当にこどもを愛しているというなら、答えは一つじゃないですか。
夫婦関係の回復に「真剣」に取り組む。「よりをもどす」
それが、なによりも一番、こどもを愛することだから。
子どもにとって、パパとママが、仲良く一緒にいてくれること。
このたった一つのことを、どれほど心から願っているか。
両親が離婚してしまった子、であるわたしは、同じ思いをこどもたちにさせてはいけないと、それこそ夫婦関係に「真剣」になりますよ。
夫婦が共に生きるために、祈って、聖書を学んで、実践して・・・これだけは「真剣」です。
伴侶を愛さず、こどもだけ愛するなんて、子の立場から言わせれば、まったくもって矛盾だから。
伴侶を愛さず、見下し批判するその態度こそが、子どもを苦しめているのだから。
子どもを愛することと、伴侶を愛することは、一つ。
切り離してはいけないんです。